吉良 吉陰の奇妙な音楽日記

It's Only Music, But I Love It.

ジャー・ウォブル版マイルス・デイヴィス (?)




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『Everything is No Thing』
Jah Wobble and The Invaders of The Heart







 元PUBLIC IMAGE LTDのベーシストでもあったジャー・ウォブルのバンド、Jah Wobble and The Invaders of The Heartが今月22日に日本先行でリリースした新作(ちなみに輸入盤は今月29日発売)です。
 昨年、ウォブルの36年間に渡るキャリアを総括する6枚組のボックス・セット『Redux : Anthology 1978 ― 2015』が発売になりましたが、Jah Wobble and The Invaders of The Heart名義のアルバムとしては、2003年の『English Roots Music』以来となります。
 本作をウォブルと共に手掛けた共同プロデューサーは、KILLING JOKEのベーシスト、マーティン"Youth"グローヴァーで、ユース自身は予定されていたKILLING JOKEのツアーが延期になったおかげで本作では全面的に演奏の方にも参加出来たそうです。
 ユースは17歳でPILを聴いて以来、ウォブルには多大な影響を受けてきたそうで、KILLING JOKEのベーシストとしてだけでなくプロデューサーとしても高い実績を残してきたユースが、本作のセッションについて「これまでに手掛けた中で最も気に入っているセッションの一つ。」と語るほど、ユースにとって本作の参加は実りのあるものだったようです。
 今回のアルバムの基本的なメンバーは、マーク・レイトン=ベネット(Dr)、マーティン・チャン(G)、マイケル・レンダル(Syn/Per)と言ったジャズからKILLING JOKEまで幅広い音楽性のバンドで演奏しているミュージシャン達を中心に、ジョージ・キング(Key)、チェット・ドクサ(Sax)、アレックス・ワード(Sax)、ショーン・コービーと言ったジャズ系ミュージシャンが加わった編成になっています。
 前述のメンバーに加え、アルバムに参加しているゲスト・ミュージシャンも実に興味深いメンツで、まず、本作発売前にYouTubeでもアップされた「Cosmic Love」(M-2)にはALABAMA 3のオーロラ・ダウンがヴォーカルで参加。
 それから、ナイジェリア・アフロ・ビートの第一人者として名高い、フェラ・クティのバンドで活躍していたドラマー、トニー・アレンが「Freedom Principle」(M-6)に参加。トニー・アレンは現在、75歳という高齢ですが、かつてフェラ・クティのアフロ・ビート・サウンドを支えてきたグルーヴは「Freedom Principle」でも健在で楽しんでプレーしている様子が伺えます。
 そして、もう一人のゲストは元HAWKWINDのメンバーでもあったニック・ターナーが「Infinity in the Void」(M-4)、「Mandala」(M-5)にフルートとサックスで参加。ニックは1978年にはHAWKWINDを離れて、ソロ・プレイヤーとして活躍しているそうですが、彼はユースが連れてきたそうです。
 実はHAWKWINDに関しては、ウォブルは1974年にジョン・ライドンと一緒にライヴを観に行くほどの大ファンだったそうで、ウォブルにとってニック・ターナーの参加は感慨深いものだったに違いありません。
 PILでポスト・パンク・ベーシストとして大きなインパクトを与えたウォブルですが、PIL脱退後のウォブルの活動はポスト・パンクという小さなハコの中に止まらず、ジャズからファンク、ワールド・ミュージックまで多彩にして多作で、その全活動を追うのはどんな音楽マニアでも不可能に近い至難の業と言えると思います。
 特にJah Wobble and The Invaders of The Heart名義の作品はポスト・パンク色から掛け離れた作品が多い気がしますが、エレクトロニクス色の強い『Without Judgement』(1990年発表)を始め、シネイド・オコーナーも参加した『Rising Above Bedlam』(1990年発表)、ウォブルのキャリア最高傑作の一枚とされている『Take Me to God』等、Jah Wobble and The Invaders of The Heart名義でのウォブルの作品は彼の音楽性の幅広さ、深さを思い知る作品も多いことから、本作に期待したファンも多いことでしょう。
 共同プロデューサーのユースは今回のJah Wobble and The Invaders of The Heartのアルバムを「ジャー・ウォブル版マイルス・デイヴィス」と評していますが、ジャズ、アフロ・ビート、フュージョン・ダブ等が入り混じっていながらも、洗練されたジャジーサウンドを基調にした完成度の高い音楽アルバムになっていると思います。
 ユースとの共同プロデュース作品であることから、もしかしたら、この作品がポスト・パンク色の強いアルバムなんじゃないか?と期待したパンク/ポスト・パンク・ファンもいたりするのかもしれませんが(笑)また後日、ユースと何かを制作する機会があるそうなので、その期待に応えてくれる可能性もあります。
 昨年リリースした、6枚組のボックス・セット『Redux : Anthology 1978 ― 2015』自体がウォブル自身の"何かの終わり"であり、"何かの始まり"だそうで、そういう意味ではボックス・セット・リリース後の本作は本格的な意味での"何かの始まり"を意味するのだと思います。
 現にウォブル自身は本作について「一種、"円が一回りして完結した/閉じた"的なフィーリングを生み出してくれる」アルバムと評していて、またアルバム・タイトルの『Everything is No Thing』の意味に関しても「あれは仏教用語から来ているんだ。仏教のマーディヤミカ派が使うタームで"世界に物質は存在しないと言うか…。…とは言っても"何もかも無に過ぎない"というのは別に悲惨でネガティブな意味ではないんだけどね。そうではなくて"何もかも虚ろである(Everything is empty)"というのかな?。サンスクリットで言うところの"空の概念"だね」と語っていて、また、ウォブル自身、このアルバムに臨む姿勢として書道家や禅に例える等、"何かの始まり"を雑念を取り除いた"無"の姿勢で制作に取り組んだのかもしれません。
 このアルバムを聴いた方がウォブルの過去作と比べて、どう感じたかは分かりませんが、このアルバムがウォブルの歴史の新たなる1ページ的な意味合いがあることに間違いはありません。
 無論、このアルバム制作後も数多くのアルバムを懲りずに作り続けるんでしょうけど (苦笑)。






 


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