吉良 吉陰の奇妙な音楽日記

It's Only Music, But I Love It.

私がコロナ禍中で、一番聴いているのが実はこのアルバム…


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『either/or』

Elliott Smith

 

 

 いよいよ、我が国でも7都道府県で“緊急事態宣言”が発令され、ライヴはおろか音楽どころではない状況になってしまいました…。今年、『FUJI ROCK FESTIVAL 2020』、『SUPERSONIC』のフェスの出演アーティストもそれぞれ発表になっていますが、正直、開催は厳しいと言わざるをえません。満足に外出も出来ない状況の中、皆さんも音楽は引きこもって聴くしかなくなっているはずですが、こんな状況下ですから、下手すれば音楽を聴く気力すら失くしているかもしれません…。でも、こんな状況下だからこそ響く音楽と言うのもあると思います。益々、コロナ禍が酷くなっていく中で、私が一番良く聴いているのは、これから、このブログで書かせていただく、エリオット·スミスの『either/or』です。

 エリオット·スミスは現在でこそ、高い評価を受けているシンガーソングライターですが、彼が活動していた90年代から00年代初めの頃は決して知名度は高くなかったと思います。エリオット·スミスが注目され始めたのは、1997年の映画『グッド·ウィル·バンディング』に提供した「Miss Misery」がアカデミー賞歌曲賞にノミネートされ、1998年のアカデミー賞授賞式の会場で「Miss Misery」を演奏した時でした。その後、メジャーレーベルのDreamWorks Recordsに移籍し、1998年に『XO』、2000年に『Figure 8』をそれぞれリリースするものの、常にドラッグやアルコール問題を抱え、常に鬱状態。そして自殺志願まで口にする等、精神的にかなり危険な状態に置かれ、『Figure 8』もベックやPEARL JAMのメンバー等に高く評価されていましたが、メジャー·レーベル移籍後のアルバムが決して高いチャート·アクションを見せることはありませんでした。そんな状態の中、エリオット·スミスは次のアルバムの制作に取り組みますが、2003年10月21日にロサンゼルスの自宅で恋人のジェニファー·チバと口論後にバスルームに閉じこもった後、キッチン·ナイフで負った2箇所の傷が原因で謎の死を遂げます。そして、死後に彼が取り組んで制作してきた音源を元にリリースしたアルバム『From A Basement on the Hill』(2004年発表)が、全米アルバム·チャート19位という高いチャート·アクションを記録。更に2007年には未発表曲、デモ音源、シングルB面曲で構成された編集盤『New Moon』も全米アルバム·チャート24位を記録し、死後に急速に高い評価を受けるようになったのです。

 エリオット·スミスは、1991年に大学の級友のヒート·ガストと共にオルタナ·バンド、HEATMIZERを結成。そのHEATMIZERの活動中の1994年にインディー·レーベルのCavity Seachからソロ·デビュー·アルバム『Roman Candle』をリリース。引き続き、1995年にはBIKINI KILLやSLEATER-KINNEY、HUGGY BEAR等、ライオット·ガール·バンドのアルバムをリリースしてきたことで有名なインディー·レーベル、Kill Rock Starsと契約し、2ndソロ·アルバム『Elliott Smith』をリリース。並行して活動を続けてきたHEATMIZERが1996年に解散。ソロ活動に専念出来るようになった環境で、Kill Rock Starsから1997年にリリースした3rdアルバムが本作の『either/or』です。

 本作の『either/or』はエリオット·スミスの死後、代表作として評価されている作品です。アルバム·タイトルの『either/or』は、デンマークの哲学者、キェルケゴールの著書『あれか、これか : 人生の断片』(あれか、これか - Wikipedia)の英語名(デンマーク語では『Enten-Eller』)で、「美的生活(いわゆる享楽に身を委せた生活)の行き着く先は絶望に他ならない」という内容のキェルケゴール哲学書から取られたものです。本作はスミス自身の自宅や、スミスと交流の深いQUASIのメンバーだったジョアンナ·ボルムの自宅等、数カ所で録音され、後に『XO』を共同で手掛ける、トム·ロスロックとロブ·シュナフもスミスと共に共同プロデューサーとして名を連ねています。1996年にジェム·コーエンがスミスにフォーカスを当てたショート·フィルム「Lucky Three」を撮影し、そのフィルムで演奏された2曲も本作に収録されました (その内の1曲「Between the Bars」の演奏映像も、このブログに貼っています ↓)。ギター、ベース、ドラム、キーボードは全て、スミス自身で演奏していますが、HEATMIZERのようなロックではなく、スミスがソロ·アルバム前2作で演奏してきたのと同様に内省的なシンガーソングライター·アルバムに仕上がっています。セルフ·タイトルの前作がドラッグやアルコール中毒を想起させる内容だったことを深く反省したスミスは、そうしたネガティブな内容の歌詞を極力排し、結果的に温かみのある前向きな作品に仕上がっています。そもそも、生まれてすぐに両親が離婚し、継父の虐待を受けて育ったスミスは、常にトラウマを抱え、そんな鬱状態の彼の歌詞を行間から解読するのは至難の業とも言えますが、逆に常に傷付いてきた彼の繊細な感性と、THE BEATLESから影響を受けた高度なソングライティング能力の高さはどのアルバムでも垣間見えることが出来ます。アルバムの完成度こそ、メジャー·レーベル移籍後の『XO』や『Figure 8』の方が上かもしれませんが、繊細過ぎるスミスのヴォーカルは、むしろ、本作のようなシンプルなサウンドの方が際立つのは確かです。愚直な例えで言えばレノン/マッカートニー·クラスのソングライティング能力を持ったジョージ·ハリスンと言っても良いかもしれません。この繊細過ぎるスミスが最も高いソングライティング能力を活かし、アーティストとして、最も脂の乗り切った状態で制作されたのが本作と言えるでしょう。オープニング·トラックの「Speed Trials」の質の高さから余裕で名盤の予感を感じさせますが、脆さを感じさせながらもハーモニーがあまりにも美しい「Alamonda Street」を聴いた時点で、次の曲が聴きたくなり、更に質の高い曲が続くことで中毒性も高いアルバムです。「Angeles」では複雑なフィンガー·ピッキングを披露し、ギタリストとしても評価の高かったスミスの真骨頂が発揮されていますし、「Cupid's Trick」や「Rose Parade」のようなロック色の濃いナンバーでは、HEATMIZERでは決して評価されることのなかった、ロッカーとしての際立った魅力も感じさせてくれます。そしてラストを飾る「Say Yes」は苦悩を感じさせつつも希望の光が見える、スミス屈指の名曲で本当に深い余韻を残しながら、アルバムは惜しくも終わっていきます…。

 スミスが活動していた90年代の音楽シーンは、NIRVANA登場以降にグランジが席巻し、その後にNINE INCH NAILSKorn等のヘヴィーなマッチョイズムなバンドが流行の最先端にいた時代だったので、繊細過ぎるスミスにとっては不遇な時代でしたが、そういった時代が過ぎ去った後に、やっとスミスの魅力を評価出来るようになったのは自然の流れだったのかもしれません。

 同じ90年代に活躍したジェフ·バックリィのようにアルバム1枚残しただけで亡くなり、彼もスミス同様に伝説的なシンガーソングライターでしたが、スミスはジェフ·バックリィのように決して神々しい存在ではありませんでした。また、カート·コバーンが愛して止まないダニエル·ジョンストンのようにオルタナ·ファンのカリスマになることもありませんでしたが、エリオット·スミスは現在でも世界中の音楽ファンの心に残っています。コロナ禍中の現在だからこそ、傷だらけの天使とも言えるエリオット·スミスは、現在の私の心に大きく響いたのだと思います。いつ終息するかも分からないコロナ·ウイルスの猛威の中で、本作は疲れ切った私の心を微力ながらも支えてくれるアルバムです…。

 

 

 

 

 

 

 

 


https://youtu.be/p4cJv6s_Yjw

 

 

 


https://youtu.be/FMSU4QDbdew

 

 

 


https://youtu.be/8bxmk09lCzk

 

 

 


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